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ψくじ引き将軍Θ [数奇な歴史]

室町幕府の時代に、5代将軍の足利義量(ヨシカズ)が
急逝してしまって、次期後継者候補が、兄弟の梶井義承、大覚寺義昭、
虎山永隆、義円の4人も居たので、「さてと…お世継ぎどうしょうかぁ…」
1428年(正長元年)管領の畠山満家が「よしっ!くじ引きで決めよう!」
ということになり、石清水八幡宮の通例に従って、粛々と竹のボッコの赤印を

一人ひとり、引いていくことになった。
最後のボッコを当時、仏門に入って出家していて将軍後継者から
一番遠い立場にいた『義円』が引き終わり、重臣の斯波氏や畠山氏、
細川氏が見守る中、4人が一斉にボッコの先端に記名をしたのである。
そして、後見人の畠山満家の手元にまとめられ

一同、固唾を呑む中…

      太鼓の小連弾する中…

            緊張の空気が張り詰める中… 

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畠山満家が、ボッコの先端に書かれた記名と
まっすぐ伸びた反対側の赤印を確認した。 
それを見た途端に畠山満家の顔は興ざめし、
失意の口廻しで……「義円殿と相成り……」とボソボソと告げた。
畠山満家は源氏の嫡流で、古くは頼朝の時代から将軍家を支えてきた
家系により、仏門に下った者が将軍後継者になろうとは…
と異を唱え、同じ源家の斯波、細川氏も賛同し
くじ引きヤリ直しを提訴したのが、かねてより153代天台座主となり、
『天台開闢(カイビャク)以来の逸材』と呼ばれるほどの
将来を嘱望されていた義円に白羽の矢を立てていた三宝院満済らによって
反対され、この時代、中世特有の〝神を感じて、くじ引きする〟という、
しきたりと公正を重んじて…
室町幕府6代将軍は義円となった。
このことから、後世、彼を『くじ引き将軍』と呼ばれるようになり、
足利幕府の転覆の要因のひとつにもなる「応仁の乱」へと
幕府の為の、幕府に依る、幕府の『万人恐怖の政治』のプロセスを経て
1441年(嘉吉元年)赤松父子に暗殺される(嘉吉の乱)まで13年間続くのであった。

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この〝くじ引き〟がなければ…
比叡山・153代天台座主の高僧として生涯を全とうしていたことになるのだが…

おそらく…やがて、訪れる戦国時代そのものも、信長、秀吉、しいては
家康なんかも輩出して来なかったであろう!
まさに運命の〝くじ引き〟であった。

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