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先祖と末裔がリンクして… [数奇な歴史]

鎌倉方面に向かう〝かまくらみち〟を泉区より、ちょうどR1原宿の交差点を
横切り、更に南に下った辺り…JR大船駅の裏手、その辺りが長尾台という
所で大船観音に程近い丘になってて「長尾城址の塚」がある。
住宅地の中にあり、見つけ難いけど小高く開けた所にあって、
風化されてなく、そこだけスッポリと抜けた感じで
かっては鎌倉時代の御家人一族「長尾氏」の居地跡であった…

Nagao Castle.jpg

 

隠れ大船の観音様

Ofuna hidden yin.jpg

 

その長尾氏の定景は鎌倉3代将軍・実朝を
鶴岡八幡宮の大銀杏で殺した公暁を三浦義村の命令で討取ったことで有名…

 

それから…約350年後…
末裔である北越から勇名を轟かせて
戦国大名となった
上杉謙信(長尾景虎)は関東管領として鶴岡八幡宮に詣でる。

Kanto Kanrei.jpg

 

 

先祖が公暁を殺した所で、今度は晴れがましい式を挙げたことになり、
なんとも!先遇一致!!先祖と末裔…
処、同じにして、それぞれの境遇の元で歴史に大きく刻み込まれている…


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日本海軍唯一の撤退作戦◎ [数奇な歴史]

Kiska.jpgキスカ島はアリューシャン列島の中で、
北海守備圏の要所で
                 
アッツ島の東方にある小さな島で、
5,000名の兵が配備されてた…                    

                                                                                                                          

                                  

                                                                  

                                                                 

                                         Admiral Kimura.jpg 

「帰れば…また来られるからな!」
               
この言葉は太平洋戦争中、
               
「キスカ島撤退作戦」を指揮した
             
日本海軍第一水雷船隊司令官
木村少将が      
言い放った言葉…       

 

 

1943年5月末…アッツ島が米軍の激しい攻撃にさらされている頃
大本営では、アリューシャン列島の放棄を決定し、
キスカ島の駐留部隊を撤退させることになったが、
手薄となっている南太平洋の防御もあり、撤退作戦計画が頓挫したままであった。

 その後、アッツという間にアッツ島の日本軍が玉砕してしまった…

米軍は次の目標をキスカに定めてきて、やっと駆逐艦を中心にした
艦艇を派遣して撤収しようという計画が立てられた。
一刻の猶予もない状態は続いていく…

しかし…すでに米国艦隊に包囲されたキスカ島に水上艦艇を
接岸させようとすれば甚大な被害が出ることは避けられない。

そこで…アッツ島玉砕の直後に、潜水艦15隻を派遣して密かな撤収活動を行い、
まずは第一段階の傷病兵800名を救出することに成功した!

その後、現場指揮官と大本営のヤリトリの中でキスカ島の守備隊を
全員救出~完全撤退作戦に切り替え、作戦計画を練ることにした。

しかし…潜水艦は米軍のレーダー網を完備した警戒は厳重で
相当な迎撃を受け、計画はまたまた、この段階で頓挫した。

大本営の英断は、ついに…水上艦艇を突入させることに決め
巡洋艦1隻、駆逐艦11隻という大部隊を投入した! 第一水雷船隊、出撃!

何度も何度も失敗して引き返した挙句…7月29日ついに決行の時が来た!

艦隊は13時40分に投錨し、ただちに待ち構えていたキスカ島守備隊員約5,200名を
輸送船のピストン輸送により、わずか55分という短時間で迅速に収容を完了せしめた。
この際、使用済の輸送船は回収せずに自沈させ、陸軍兵士には
持っている小銃を投棄させて身軽にしたことも収容時間の短縮に繋がった。

守備隊全員を収容した後、ただちに艦隊はキスカ湾を全速で離脱して
幸運にも、米軍の目をくらます深い霧に包まれながら
空襲圏外まで無事に離脱することができた。

Ship for withdrawal.jpg

 

深い霧の中を密かにキスカ島を離れていく輸送船団…
途中、同じアリューシャン列島の中で、明暗を分かち合って「玉砕」という
無念さで英霊達が眠るアッツ島の沖合いにさしかかった時に…

甲板にいた撤退兵達が霧の向こうから「バンザ~イ!バンザ~イ!!」の声を耳にしたとか…

 

歴史小説家の司馬遼太郎の著書「街道を行く・三浦半島記」の中で
「私は魑魅魍魎は信じないが、この事象だけは信じたい。」と結んでいたなぁ…

こうして救援艦隊は7月31日から8月1日にかけて
千島列島・幌筵(ほろむしろ)島に全艦、無事帰投完了!

一方、米軍は依然として途中の小島の島影を日本艦隊の船影と間違え
誤射したり、キスカ島の幽霊守備隊に対して砲撃を続け…
さんざんに艦砲射撃を加えた後、モヌケの殻のキスカ島に上陸した。

Too stupid empty.jpg
唯一、島に残っていたのは砲撃に驚いていた4匹の犬だけが
キョトンとした表情でお出迎えくださったそうだ!
その後…この犬たち4匹の運命の後日談がアリ…
軍用犬としての生き様を人間のエゴの歴史としていく捉えていく小説
ベルカ、吠えないのか?/古川日出男 著(文春文庫) 』で繋がっていく…
 
ベルカ、吠えないのか? (文春文庫)

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瀬田の唐橋をめぐって… [数奇な歴史]

天智天皇の皇子の中で最年長の大友皇子は、文武両道で弱々しい天皇家の

イメージとは思えないほど、かなり豪傑な青年であった。

理知的で風貌は優れ、皇子の2篇の詩も気迫がみなぎっている。

そんな息子を頼もしく想っている天智天皇はもし、万が一…

自分の亡き後は大友皇子に託す意向を側近にも打ち明けていた。

そんな日々を遷ろう古代史の中で…

668(天智7年) 琵琶湖を望む近江京の高殿で、          tennji.jpg

とんでもない事件が起きた…

晴れて天皇の座についた天智天皇の即位式の後の宴の席で、

酔うほどに…盛り上がるほどに…祝杯を側近の者たちと重ねていく中、

一人の男が酔いに任せて、長槍をもって敷板を刺し貫いたり、

円卓の足を取り払ったり、わめきながら食器を投げつけたりの

狼藉を働いてる者がいた。

列席者一同がよく見ると…「ま、ま、まさか…」と絶句…

一同の視線の先は、まぎれもなく天智天皇の弟君…大海人皇子であった!

これを見た帝は、大いに怒り、武闘派左大臣に

彼を切り捨てるように命じた。

ところが…

穏健派で帝と共に「大化改新」を一心同体になって推進してきた

有力な同志である藤原鎌足が…

「酒宴の席での無礼講であるのでお許しになって下さい!」と

帝を諌めた。今さらながら、事なきを得て素通りできそうな

出来事ではあったが…かねてより大友皇子の成長によって

皇位継承の望みが薄くなった大海人皇子の欲求不満が蓄積していたので

大友皇子を巡っての跡目争い、そして、額田女王との三角関係のもつれ…

帝と弟君、大海人皇子の兄弟関係は、いよいよ拍車がかかって

険悪な間柄になっていった。

それから…3年後…

死の床に横たわっていた天智天皇は大海人皇子を枕頭に呼んで言った。
 

 「お前にあとを譲ろう!」…

「ありがたくお受けします」と答えたなら、どうなるか…tenmu.jpg

平穏に皇位が継承されるかもしれない…しかし…

受諾の返事をしたとたんに謀反の意ありとして

殺してしまう兄の猜疑心、そして、左大臣一派…

過去においても謀反の疑いアリ!と抹殺された例は、いくらでもあり……

ジーッと帝を見つめる大海人皇子の目は、瀕死の中でも息子、大友皇子

の皇位継承を望んでいると初めて弟心で兄を捉えた。

そして帝が即答しない大海人皇子に堪り兼ねて…

「わしはもう御世に向かう、おぬしの返事を聞かせよ!」

と問いただした。

大海人皇子は、矢継ぎ早に…

「皇位は倭姫皇后にお譲りください。そして、

          政治は大友皇子にお任せください。

            私は天皇のために出家して修道いたします。」

 と答え、そそくさと臨終の間から退去していったのである。


その2日後…

671年(天智10年)10月19日旧暦の初冬の頃…

大海人皇子は、頭を丸め、一族が所蔵する武器を官に納め

一行は吉野隠棲へ向かうべく大津を出発した。fall in country.jpg

途中、美濃・尾張の民の勢力を借り、来るべき時に備えての決死行…

宇治まで見送った左大臣たちは「虎に翼を付けて離してしまった…」と

いずれ起こる、かの有名な「壬申の乱」…大友皇子との皇位継承戦争を

予見するかの如く懸念の意を表していた。

この時点で…

日本史、史上、関が原の戦い(1600年)以前の列島を『瀬田の唐橋』を境目に

 

最大の決戦
瀬田唐橋で両軍最後の決戦に挑む⇒http://www.asuka-tobira.com/jinshin/tatakaiseta.htm


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黒船情話… [数奇な歴史]

tojinokichi.jpg

 

「駕籠で行くのはお吉じゃないか」と流行唄にまで歌われた
俗称〝唐人お吉〟

伊豆下田の玉泉寺へ奉公のため、
仕度金を受取ったというのが安政4年(1857年)5月24日…

 【一金二十五両、
  右は玉泉寺滞在の異人より
    きち仕度金の為書面の金子相渡り候段、
      申聞かせられ金子御渡成され慥に請取申候也。
 
 きち、姉もと、同人母きわ(印) 
安政四丁巳年五月廿四日、町方御役人衆中】(当時の覚書)


お吉を一躍有名にした『玉泉寺奉公』は
この日から始まって、8月22日まで三ヶ月続いた…

ところで…玉泉寺に小間使奉公に出た少女は、
お吉の他にお福、おさよ、お清、お松の4人。

お吉⇒安政4年5月24日~8月22日   何れも15~17歳のピチピチ下田のギャル、
お福⇒安政4年5月27日~10月4日   中でもお吉の奉公が最も期間が短く
小夜⇒安政5年7月1日~12月14日   お松の如きは最も長く1年間も勤めてるから
お清⇒安政5年2月5日~12月5日    驚きだベアー!!
お松⇒安政5年2月12日~6年2月9日

top.jpg

ココで疑問?なんだが…
なぜ…
お吉は短い期間なのに、お吉ばかりが有名になったのか…?

それは…

玉泉寺滞在の主人たる領事タウンゼント・ハリス専属だったから…
今でいう、駐日大使…いや、権限でいうと今以上の
アメリカ総領事、本国の出先機関:日米通商講和条約の
当時の全権大使…タウンゼント・ハリス (ハリスの風)

江戸幕府の役人と度々折衝し…
日米両国間の国際関係を進捗させようとしながら、
幕府側の逡巡で事は進まず、常に癇癪ばかり起していた。

そんなハリスのストレスのはけ口として寵を一身に集めたお吉であった…

〝羅紗めん〟と世間から疎まれ、高額支度金受領からの妬み…
世人は彼女の苦労や功績を認めてやらず、同情もしなかった
散々に嘲笑されたのを受けて、その間、三島で小料理屋開くも
50歳で稲生沢川に投身自殺するまで、朝夕の自棄酒でその生涯を淋しく終った。


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ψくじ引き将軍Θ [数奇な歴史]

室町幕府の時代に、5代将軍の足利義量(ヨシカズ)が
急逝してしまって、次期後継者候補が、兄弟の梶井義承、大覚寺義昭、
虎山永隆、義円の4人も居たので、「さてと…お世継ぎどうしょうかぁ…」
1428年(正長元年)管領の畠山満家が「よしっ!くじ引きで決めよう!」
ということになり、石清水八幡宮の通例に従って、粛々と竹のボッコの赤印を

一人ひとり、引いていくことになった。
最後のボッコを当時、仏門に入って出家していて将軍後継者から
一番遠い立場にいた『義円』が引き終わり、重臣の斯波氏や畠山氏、
細川氏が見守る中、4人が一斉にボッコの先端に記名をしたのである。
そして、後見人の畠山満家の手元にまとめられ

一同、固唾を呑む中…

      太鼓の小連弾する中…

            緊張の空気が張り詰める中… 

imga.jpg

畠山満家が、ボッコの先端に書かれた記名と
まっすぐ伸びた反対側の赤印を確認した。 
それを見た途端に畠山満家の顔は興ざめし、
失意の口廻しで……「義円殿と相成り……」とボソボソと告げた。
畠山満家は源氏の嫡流で、古くは頼朝の時代から将軍家を支えてきた
家系により、仏門に下った者が将軍後継者になろうとは…
と異を唱え、同じ源家の斯波、細川氏も賛同し
くじ引きヤリ直しを提訴したのが、かねてより153代天台座主となり、
『天台開闢(カイビャク)以来の逸材』と呼ばれるほどの
将来を嘱望されていた義円に白羽の矢を立てていた三宝院満済らによって
反対され、この時代、中世特有の〝神を感じて、くじ引きする〟という、
しきたりと公正を重んじて…
室町幕府6代将軍は義円となった。
このことから、後世、彼を『くじ引き将軍』と呼ばれるようになり、
足利幕府の転覆の要因のひとつにもなる「応仁の乱」へと
幕府の為の、幕府に依る、幕府の『万人恐怖の政治』のプロセスを経て
1441年(嘉吉元年)赤松父子に暗殺される(嘉吉の乱)まで13年間続くのであった。

imgb.jpg

この〝くじ引き〟がなければ…
比叡山・153代天台座主の高僧として生涯を全とうしていたことになるのだが…

おそらく…やがて、訪れる戦国時代そのものも、信長、秀吉、しいては
家康なんかも輩出して来なかったであろう!
まさに運命の〝くじ引き〟であった。

imgc.jpg


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