SSブログ

黒船情話… [数奇な歴史]

tojinokichi.jpg

 

「駕籠で行くのはお吉じゃないか」と流行唄にまで歌われた
俗称〝唐人お吉〟

伊豆下田の玉泉寺へ奉公のため、
仕度金を受取ったというのが安政4年(1857年)5月24日…

 【一金二十五両、
  右は玉泉寺滞在の異人より
    きち仕度金の為書面の金子相渡り候段、
      申聞かせられ金子御渡成され慥に請取申候也。
 
 きち、姉もと、同人母きわ(印) 
安政四丁巳年五月廿四日、町方御役人衆中】(当時の覚書)


お吉を一躍有名にした『玉泉寺奉公』は
この日から始まって、8月22日まで三ヶ月続いた…

ところで…玉泉寺に小間使奉公に出た少女は、
お吉の他にお福、おさよ、お清、お松の4人。

お吉⇒安政4年5月24日~8月22日   何れも15~17歳のピチピチ下田のギャル、
お福⇒安政4年5月27日~10月4日   中でもお吉の奉公が最も期間が短く
小夜⇒安政5年7月1日~12月14日   お松の如きは最も長く1年間も勤めてるから
お清⇒安政5年2月5日~12月5日    驚きだベアー!!
お松⇒安政5年2月12日~6年2月9日

top.jpg

ココで疑問?なんだが…
なぜ…
お吉は短い期間なのに、お吉ばかりが有名になったのか…?

それは…

玉泉寺滞在の主人たる領事タウンゼント・ハリス専属だったから…
今でいう、駐日大使…いや、権限でいうと今以上の
アメリカ総領事、本国の出先機関:日米通商講和条約の
当時の全権大使…タウンゼント・ハリス (ハリスの風)

江戸幕府の役人と度々折衝し…
日米両国間の国際関係を進捗させようとしながら、
幕府側の逡巡で事は進まず、常に癇癪ばかり起していた。

そんなハリスのストレスのはけ口として寵を一身に集めたお吉であった…

〝羅紗めん〟と世間から疎まれ、高額支度金受領からの妬み…
世人は彼女の苦労や功績を認めてやらず、同情もしなかった
散々に嘲笑されたのを受けて、その間、三島で小料理屋開くも
50歳で稲生沢川に投身自殺するまで、朝夕の自棄酒でその生涯を淋しく終った。


nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0



人気ブログランキングへ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。